皆さんは《ケンタッキー・フライドチキン》
お好きですか
私は時々、とても食べたくなります
今日はこの美味しいチキンを
私達に届けてくれたカーネルおじさん、
カーネル・サンダースのお話しです
こんにちは
ご訪問ありがとうございます。
メタ・シークレット スピーカー
メタ・シークレット シニアカードリーダー
ミラクルハッピー
ハニエルの翼です
「カーネル・サンダース」
実は名前ではありません。
出身である ケンタッキー州に
貢献した人たちに与えられる
「ケンタッキー・ カーネル」
という名誉称号です
本名は
ハーランド・デヴィッド・サンダース
3人兄弟の長男として生まれました。
6歳で父を亡くし、
家計を助けるため
10歳から農場に働きに出ました。
15歳で母の再婚相手から暴力を振るわれ
家出をします
10歳からの社会人生活で
40種類以上の職業を経験しました
「自分の将来は自分で決める」
そんな想いから
30代後半でガソリンスタンド
40歳でスタンドの横で
『サンダース カフェ 』を開業
GSはサービスの良さで
カフェはその美味しさで大繁盛します
しかし、
最愛の息子を亡くしたり
繁盛していたGSは
大恐慌と大干ばつにより 倒産。
カフェも火災により消失しました。
その度に何度もカーネルは復活を遂げます。
その頃に9年の歳月をかけ
「オリジナルレシピ」が出来上がります
しかし負債が多く経営から身を引く事に。
文無しになった このとき 65歳です
70歳近いカーネルは
フライドチキンのノウハウを
車1台で全米中を走り回り
FC契約を結ぶ 営業の旅に出ます
73歳で600店舗とFC契約
その後は 経営の権利を譲渡し
「味の親善大使」として
90歳で亡くなるまで
FC店舗の視察を続けました
カーネル・サンダースは
『ロータリークラブ』と
『フリーメイソン』のメンバーでもあり
慈善活動にも力を入れていました
孤児院の子供に毎日アイスクリームを
届けたり
病院や教育機関、ボーイスカウトなどにも
資金提供をしていました
大変な親日家でも知られています
来日時には 日本の交通遺児らとも
面会していたそうです
自分の信念をしっかり持ち
何があってもあきらめない強さ
決して年齢を言い訳にしないこと
武骨なまでの実直さ
たくさんの人に笑顔を与えていること
私は彼のそんなところに惹かれます
それは彼の遺した言葉からも分かります
「失敗とは再始動したり、
新しいことを試したりするために
与えられたチャンスだ。
私はそう信じている。」
「私はただ2つのルールを
守って来ただけだ
・できることはすべてやれ
・やるなら最善をつくせ
これが何かを達成するための
唯一の方法なのではないだろうか」
「私が良い気分になれるのは
初めてチキンを食べた人を見るときだ。
私は何百万の食卓に美味しいチキンを届ける手伝いができたことを誇りに思っている。」
「人は 60歳や65歳になると
人生これで終わりと思うものだ。
しかし その人の年齢は自分が感じた歳、
思い込んだ歳で決まる。
歳がいくつであろうと
やれる仕事はたくさんある。」
アナタが素晴らしいと思う人は誰ですか?
その人のどんな所に惹かれますか?
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